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昔は女性が主役でした。 |
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最近になって、女性にも日本酒を愛好する方が増えてきましたし、酒造場でも女性が活躍するさまがメディアに紹介されるようになりました。とはいえ、日本酒といえば男性というイメージは根強くあります。 しかし、太古から近世までの酒造責任者は女性であったようです。 大昔の宮廷の行事を記した「廷書式」によると、今から千年以上も前の宮廷の「造酒司」でも、酒つくりの役はトネリメ、すなわち刀自と呼ばれる女性でした。鎌倉時代(13世紀)に刊行された「霊異記」にも「家カの刀自が酒を余分に造って売った。」という記事があるように、酒は女性がつくるものだったのです。(一説には、のちの(男性の)杜氏の由来といわれています) 海外でも、昔の酒造業の大半は女の手に握られていました。ヨーロッパでは、17世紀、自家用や商用のビールやエール(英国特有の酒・ビールの一種)をつくる仕事は、女性の仕事でした。さらに、酒屋といえば大部分は酒女(エールワイフ)達だったのです。東南アジアでも、ビルマでは酒造用のコウジは2人の女性によってつくられると書物に記述されています。我が国では、近代まで、神をまつるための酒は、清い乙女が米を口でかんで、これを唾液とともにカメに吐きだしてつくりました(口かみ酒とよばれていました。液化仕込みや融米づくりはこれをヒントに生まれた技術です。)。明治に入るまでは味噌つくりと同様に、酒つくり技術は主婦から主婦へと引きつがれていたようです。古代社会では、女性は宗教的に高い地位にあり、神事に関係の深い酒造も女性の職掌でした。 しかし、時代が移り、生産の実権が女性の手から男性の手に移るにつれ、女性の宗教的地位も次第に変化しました。「酒つくりは神聖な行事である。女性はケガレが多い。それ故、女性を神聖な酒造場に入れると酒がくさる。それ故、女人を近づけてはいけない。」というのが「女人禁制」の内容です。清酒醸造は、江戸時代の中期に、出稼ぎ農民の職人的技術による生産方式が確立しました。出稼ぎ農民たちは、長い冬の間、妻子と離れ、酒造場で男だけの集団生活をしながら酒をつくります。それ故、酒造場に女がチラチラしては間違いのもと、女は近づけるな、というおもんばかりが、酒屋の主人側に働いたようです。 今でこそ酒造技術の発達によって、酒の腐造などはほぼ撲滅しましたが、つい最近まで、酒がくさったりすると、厄のある(月経中ということらしい)女がオケをのぞいたからだとか、酒屋の若い衆が酒つくりの途中で女を買ったからだ、などといったものでした。というわけで、女人禁制の習慣は、今でも、その傾向を残しています。(参考資料:炉辺閑話 1977/9/15より) |
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